ゴミ拾い

寮から徒歩一分。最高の立地にあって寮飯の出ない日曜日には毎朝お世話になっている牛丼チェーンすき家。今日も今日とてチーズ牛丼並盛のあさり汁おしんこセットを平らげた帰り道、いつも通っている道にゴミがたくさん落ちていることに気が付いた。いや、いつも気がづいてはいるけれども「気にならない」ゴミたちを見て、今日はとても「気になった」。どうしても見過ごすわけにはいかないと思いすぐに拾った。そうすると、いつも何も考えずに素通りする道に実は自分の想像をはるかに上回る、とてもたくさんゴミが落ちていることに気が付いた。今日はそれがとても「気になった」ので一度寮に帰ってゴミ袋と長めのトングを持ち出してすき家までの道を往復した。

 

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見てくださいこのゴミの量。徒歩一分の一本道。一人で10分弱ゴミだけを気にして往復して歩いただけでこの量。40ℓのゴミ袋がいっぱいになってしまった。思うことは二つ。

 

一つは「ポイ捨てする奴くたばれ。お前がそのごみを捨てずに家に持ち帰ってゴミ箱に捨てていれば、俺がわざわざ腰をかがめてゴミを一つ一つ拾うこの不毛な10分間はなかったんだよ。俺の10分間返せ。そんな安くねーぞ。」という怒り。


普段、目の前に落ちているごみを拾う習慣がある人、もしくは、やらされてでもいいから「ゴミ拾い」というとてもめんどくさくて汚らわしい行為をしたことがある人は絶対にポイ捨てなんかしないと思う。実は俺は後者で、寮には毎週火曜日に「地域清掃」という謎の行事がずっとあって、寮生はみんな強制的にゴミ拾いをさせられる。その経験によって「ゴミ拾い」という時間の不毛さが身に染みてわかるので、その気持ちを想像したら、絶対にポイ捨てなんてできるはずがない。というか結局自分が拾う羽目になるので、捨てずに持ち帰ったほうがお得である。要するにゴミをポイ捨てする人間は「想像力のない」人間だと思う。自分が安易に捨てたそのゴミのせいで自分以外の誰かに「ゴミを拾う」という不毛な時間が生まれることを想像できないのだ。「ゴミ拾い」は「飲食店バイト」と一緒に義務教育に組み込むべきだ。気持ちが想像できないなら強制的に経験させてやればいい。そうすれば迷惑クレーマーもゴミをポイ捨てする奴もいなくなってきっともっと生きやすい世の中になる。伊坂幸太郎的に言わせれば、殺人は絶対悪とは言い切れなくてもごみのポイ捨ては絶対に悪だ。どうしようもない理由があって人を殺してしまうことはあるかもしれないが、ゴミをポイ捨てせざるを得ない状況なんてあるわけがない。つまりポイ捨てする奴は殺人犯よりもたちが悪い!!

 

二つ目は「意識を高く、強く持っていないと何もできない」という事。


俺は寮長として、チームではリーダーの一人として、チームの理想を掲げ、周りを引っ張っていく立場だと自覚している。「落ちているごみがあったら拾え」なんて言いまくっているし、当然自分は当たり前のようにできるかのように話している。話している自分自身も「俺はできるし、普段からやっている。」と信じて疑わない。しかし、冒頭に書いたように俺は「気になったゴミ」を拾っているだけ。毎週のように同じ道を歩いていて今日初めてそのごみの多さが気になった。思い返せばゴミの存在に「気づいていた」ことは明白である。これが現実。みんなの前で偉そうに指摘していること。一番それを「自分事」ととらえて「当事者意識」を持たなければいけないのは、自分自身だった。

そのことに気づかせてくれた。

 

ポイ捨てしてくれた人、ありがとう。

 

 

自粛疲れで散歩するついでに、落ちているゴミでも気にしてみて下さい。見える世界が少しだけ変わると思います。